賀茂保憲(かものやすのり) 917年(延喜17年)-977年(貞元2年)
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賀茂忠行の子で父と並び平安中期を代表する陰陽師のひとり。安倍晴明および長男賀茂吉平の師、「当朝は保憲をもって陰陽の規模となす」と賞賛されるほどの評価を得ていた。官僚としても出世して陰陽頭にまでなっている。嫡子の賀茂光栄に暦道を、弟子の安倍晴明に天文道をあまなく伝授し、後の賀茂氏・安倍氏の2家世襲体制の礎を作った。『今昔物語集』に、弟子の安倍晴明との間で隠された中身を当てる占術試合「占覆(せきふ)」を行った話が収録されているとされ、また「暦林」「保憲抄」という暦道や陰陽道の技術書を著したとされているが、どれも現存していない。
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