豊橋中央高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/26 08:14 UTC 版)
| 豊橋中央高等学校 | |
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| 北緯34度45分5.18秒 東経137度23分30.15秒 / 北緯34.7514389度 東経137.3917083度座標: 北緯34度45分5.18秒 東経137度23分30.15秒 / 北緯34.7514389度 東経137.3917083度 | |
| 過去の名称 | 愛知高等実修女学校 愛知実修女子高等学校 豊橋女子高等学校 |
| 国公私立の別 | 私立学校 |
| 設置者 | 学校法人高倉学園 |
| 設立年月日 | 1924年(大正13年)10月3日 |
| 創立者 | 高倉半次郎 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 中高一貫教育 | なし |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | D123310000542 |
| 高校コード | 23547E |
| 所在地 | 〒440-0856 愛知県豊橋市鍵田町106 |
| 外部リンク | 公式サイト |
豊橋中央高等学校(とよはしちゅうおう こうとうがっこう)は、愛知県豊橋市鍵田町に位置する私立高等学校である。
概要
建学の精神
- 「和」の精神を柱とし、豊かな知性と情操を培い、勤労と責任を重んじ、広い視野に立った心身ともに健やかな人間の育成を目指している。この字に象徴されるようなソフトな人格形成を目指している。更に「和」という字を様々な視点から解釈して驚きと感動に満ちあふれた教育を目指している。
教育目標
- 「純良・健全・有為」
沿革
- 1924年(大正13年)10月3日 - 当時の南設楽郡新城町に愛知和洋裁縫女学校として設立される[1]。
- 1926年(大正15年) - 渥美郡高師村に移転し、愛知高等和洋裁縫女学校と改名[2]。
- 1927年(昭和2年)3月 - 愛知高等和洋女学校に改名。
- 1941年(昭和16年)3月 - 愛知高等
実修女学校に改名[3]。 - 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革に伴い、愛知
実修女子高等学校となる。 - 1951年(昭和26年)3月8日 - 財団法人総和学園を学校法人高倉学園と組織変更[4]。
- 1957年(昭和32年)11月 - 豊橋女子高等学校に改名。
- 1968年(昭和43年)4月 - 保育科を設置する。(愛知県下の高等学校で初)
- 1991年(平成3年)3月 - 保育科を廃止。
- 1997年(平成9年)4月 - 豊橋中央高等学校に改名。男女共学普通科(進学クラス)に移行する。
- 2025年(令和7年)7月 - 決勝で東邦を延長タイブレークの末6-5で破り、学校として春夏通じて初の甲子園出場を決めた。
- 2025年(令和7年)8月 - 第107回全国高等学校野球選手権大会に出場。後に本大会で準優勝を果たす西東京代表の日大三高に2-3で競り負け、初出場・初勝利はならなかった。
基礎データ
所在地
- 愛知県豊橋市鍵田町106番地
アクセス
公共交通機関
通学圏
象徴
校章
- 校章は、高倉学園創立100周年(令和6年)を機に設定された新校章とかねてよりあった旧校章の二つが存在する。旧校章の外側は木の年輪を示し生成発展を表し、中央部分には豊橋市の徽章である千切があしらわており、建学の精神である「和」を表している。新校章は豊橋と中央それぞれの頭文字をとり、天体の中央である北極星と三日月を表し、和の精神から「輪」をイメージする円形を表している。
教育組織
次の教育組織がある。
- 普通科
- 大学選抜国公立難関私大コース(文系・理系)
- 大学選抜部活動コース(文系・理系)
- 大学選抜強化部活動コース(文系)
- キャリアデザインコース
- 強化部活動コース
- 家政科(女子のみ、令和7年度より募集停止)
- ライフデザインコース
特色
校内敷地の面積が狭いため、体育の授業は女子は校内グラウンド(鍵田グラウンド)。男子はバス移動をして、15分ほど離れたグラウンド(大山グラウンド)で行う。
2020年(令和2年)度より就任した学校長の好きな国がインドであると記載されている。
設備
旧校舎と新校舎は、3階まで各階渡り廊下で繋がっており、行き来することが出来る。
食堂・学食は食券形式で、日替わりランチや、カレー、ラーメンといったメニューがある。購買には業者が昼休みに来てパンなどを販売する。
冷暖房は基本的に全室冷暖房完備で、体育館にも設置されている。学年集会や授業など快適な環境で行うことができる。
体育館は別館の2階にひとつと、校舎と渡り廊下で繋がった体育館の二つ存在する。後者の体育館はバレーボール専用の床となっている。
別館の1階には武道場があり、柔道場、剣道場と分かれている。
運動場は校舎の近くひとつと、数キロメートルはなれたところにひとつの2面の運動場がある。
その他施設は上記以外にも、Windows専用コンピュータルーム、テニス場、フィットネスルームが存在し、主に部活動で使用される。
生徒会活動・部活動
生徒会活動
生徒会活動では、75周年時に、75万羽の折鶴を一年かけて、生徒会主催で全校生徒で折った。うち1万羽を長崎へ、30万羽を広島に持っていっている。広島までの道のりは、平和をアピールするため、自転車で走行し、各地で折鶴を折ってもらった。
部活動
女子バレーボール部と女子ソフトテニス部はインターハイにも出場している。
2002年(平成14年)に野球同好会が野球部として正式に認められる。
2009年(平成21年)の第40回春の高校バレーでは女子バレーボール部が共栄学園を破りベスト8入りを果たしている。
2025年(令和7年)に、野球部は夏の甲子園・愛知大会で優勝し、春・夏通じて初の甲子園出場を果たす[5][6]が、後に準優勝を果たす日大三高に2-3で競り負け、初出場での初勝利はならなかった[7][8][9][10][11]。
運動部
- 女子ソフトテニス部★
- 男子ソフトテニス部
- 女子バレーボール部★ - 春の高校バレー14回出場、高校総体出場、旧春の高校バレー7回出場
- 男子バレーボール部★
- 男子硬式野球部★
- 陸上部
- 男子バスケットボール部
- 男子サッカー部
- 柔道部
- 剣道部
- 卓球部
- 空手部
- ダンス部
- ソフトボール部(女子)
- パワーリフティング部
文化部
- 吹奏楽部
- パソコン部
- 演劇部
- 軽音楽部
- 理科部
- 食物部
- 芸術部(書道・美術)
- 園芸部
- 手芸部
- 自主活動部 ▲
- 写真部
- 茶道部
- 将棋同好会
★は強化指定部 ▲は近日廃部予定
著名な出身者
- 谷川原健太(プロ野球選手)
- 中川拓真(プロ野球選手)
- 星野真生(プロ野球選手)
- 岡本祥佳(バレーボール選手)
- 辻彩乃(バレーボール選手)
- 山田二千華(バレーボール選手)
- レイレライニ・アンドラデ(バレーボール選手)
ロケが行われた作品
豊橋市内でドラマなどのロケ誘致を行うとよはしフィルムコミッションに参加しており、可能な限り撮影に協力していく方針である。
脚注
- ^ “南設楽郡誌 第四節 小學校に類する各種學校”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年10月26日閲覧。
- ^ 豊橋百科事典 サ行 p.34
- ^ “官報 昭和16年3月10日 文部省告示第216号 財團法人總和學園 愛知高等實修女學校設置開校”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年10月26日閲覧。
- ^ 豊橋百科事典 タ行 p.121
- ^ “終了間近、失策の間に同点→11回勝ち越し 大熱戦の愛知決勝…豊橋中央が初の甲子園切符”. Full-Count (2025年7月27日). 2025年7月27日閲覧。
- ^ “豊橋中央、春夏通じて初の甲子園 9回に2点差追いつかれるも…11回に勝ち越し、粘る東邦を振り切る 豊橋市の学校は豊橋商以来74年ぶりの夏”. 中日スポーツ. 東京中日スポーツ. 中日新聞社 (2025年7月27日). 2025年7月27日閲覧。
- ^ “豊橋中央は甲子園初白星飾れず エース高橋大喜地は”猪木顔”でピンチ抑えるも痛恨被弾で涙【夏の甲子園】”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2025年10月19日閲覧。
- ^ “豊橋中央は初戦で敗れる、日大三に2ー3 夏の甲子園、同点に追いつくも追加点が遠く”. 中日新聞Web. 2025年10月19日閲覧。
- ^ “【夏の甲子園】初出場の豊橋中央、日大三に痛恨被弾…甲子園初白星飾れず”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2025年10月19日閲覧。
- ^ “【夏の甲子園’25】豊橋中央が初戦敗退…高橋122球の熱投もあと一本が出ず”. 東愛知新聞. 2025年10月19日閲覧。
- ^ “萩本監督が目指した個性「全開」 初出場の豊橋中央、熱戦を振り返る”. 朝日新聞 (2025年8月13日). 2025年10月19日閲覧。
- ^ “メディカルラボCM”. 豊橋中央高等学校 公式ウェブサイト (2025年9月11日). 2025年9月13日閲覧。
参考文献
- 豊橋百科事典 - ちいき本棚
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- 豊橋中央高等学校のページへのリンク