諸王の位
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天武天皇元年(672年)に壬申の乱で勝利し、翌年(673年)2月27日に即位した天武天皇は、臣下に与えた冠位とは別に、皇子を除く皇族王に三位、四位などの位を与えた。この諸王の位がいつ制定されたかは不明である。 実際の叙位は、天武天皇8年(679年)3月9日に吉備大宰石川王が死後贈位されたことが知られるだけである。一位の例は知られていない。
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諸王の位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 07:10 UTC 版)
天武天皇元年(672年)に壬申の乱で勝利し、翌年(673年)2月27日に即位した天武天皇は、臣下に与えた冠位とは別に、皇子を除く皇族王に三位、四位などの位を与えた。この諸王の位がいつ制定されたかは不明だが、天武天皇14年(685年)1月21日に冠位48階制の施行によって廃止された。四位として知られる人物は、栗隈王と葛城王である。 栗隈王 - 天武天皇4年(675年)3月16日兵政官長に任命、5年(676年)6月没。 葛城王 - 天武天皇8年(679年)7月17日没。
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諸王の位
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天武天皇元年(672年)に壬申の乱で勝利し、翌年(673年)2月27日に即位した天武天皇は、臣下に与えた冠位とは別に、皇子を除く皇族王に三位、四位などの位を与えた。この諸王の位がいつ制定されたかは不明である。 諸王三位として知られる人物には、麻績王(麻続王)、屋垣王、稚狭王、高坂王がいる。 麻績王(麻続王) - 天武天皇4年(675年)4月18日、因幡に流される。 屋垣王 - 天武天皇5年(676年)9月12日、筑紫大宰、土佐に流される。 稚狭王 - 天武天皇7年(678年)9月没。 高坂王 - 天武天皇12年(683年)6月6日没。
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