諸王の位とは? わかりやすく解説

諸王の位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/21 01:58 UTC 版)

二位」の記事における「諸王の位」の解説

天武天皇元年672年)に壬申の乱勝利し翌年673年2月27日即位した天武天皇は、臣下与えた冠位とは別に皇子を除く皇族王に三位四位どの位与えた。この諸王の位がいつ制定されたかは不明である。 実際叙位は、天武天皇8年679年3月9日吉備大宰石川王死後贈位されたことが知られるだけである。一位の例は知られていない

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諸王の位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 07:10 UTC 版)

四位」の記事における「諸王の位」の解説

天武天皇元年672年)に壬申の乱勝利し翌年673年2月27日即位した天武天皇は、臣下与えた冠位とは別に皇子を除く皇族王に三位四位どの位与えた。この諸王の位がいつ制定されたかは不明だが、天武天皇14年685年1月21日冠位48階制の施行によって廃止された。四位として知られる人物は、栗隈王葛城王である。 栗隈王 - 天武天皇4年675年3月16日政官長に任命5年676年6月没。 葛城王 - 天武天皇8年679年7月17日没。

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諸王の位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 07:10 UTC 版)

三位」の記事における「諸王の位」の解説

天武天皇元年672年)に壬申の乱勝利し翌年673年2月27日即位した天武天皇は、臣下与えた冠位とは別に皇子を除く皇族王に三位四位どの位与えた。この諸王の位がいつ制定されたかは不明である。 諸王三位として知られる人物には、麻績王麻続王)、屋垣王、稚狭王高坂王がいる。 麻績王麻続王) - 天武天皇4年675年4月18日因幡流される。 屋垣王 - 天武天皇5年676年9月12日筑紫大宰土佐流される稚狭王 - 天武天皇7年678年9月没。 高坂王 - 天武天皇12年683年6月6日没。

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