調進使とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 労働 > 役職 > 貢調使 > 調進使の意味・解説 

ちょうしん‐し〔テウシン‐〕【調進使】

読み方:ちょうしんし

貢調使(こうちょうし)


貢調使

(調進使 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/20 00:46 UTC 版)

貢調使(こうちょうし)とは、律令制において調などを京に運ぶ任務を負った国司の職員。四度使の1つ。調使調庸使調進使調帳使運調使などの別称がある。

概要

賦役令には毎年8月中旬に調・庸の輸送を始め、一定期日(近国10月30日中国11月30日遠国12月30日)までに京に着けることになっている(貢調)。その責任者が貢調使で、実際の調・庸を大蔵省または民部省に納めるとともにそれらの品目を記した調帳太政官弁官提出して公文勘会を受けた。また、戸籍が作成された際には貢調使が提出するものとされていた。古くは史生が務めることも認められていたが、宝亀6年(775年)以後は、以上の者が務めるものとされた。当時の国司は政務で都と任国を往復することも珍しくはなく、その時々に応じて国司の中から適宜任じられたとみられている[1]。貢調の隊列は郡単位で編成されており[2]、貢調使が郡単位の責任者である綱領郡司や実際の担い手である綱丁を率いた[1]。本来は調庸の納付と公文勘会が完了するまで帰任が認められず、不足が明らかな場合には公廨稲や貢調関係者の私財から弁償して納付を果たすものとされていたが、前者は9世紀には綱領郡司や綱丁の、後者は10世紀には国守の責任とされ、貢調使の役目は形骸化した。なお、調のうちに関しては別途貢夏調使・運夏調使が派遣された。これは糸のみが例外的に納付期限が7月30日とされていた(夏調)ことによる。

脚注

  1. ^ a b 今津勝紀「税の貢進」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 1 制度と実態』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01728-2 P68-69
  2. ^ 一元的に国衙に各郡の隊列を集めると、国衙より都から近い郡では国衙への往復が負担になり、国衙よりも都から遠い郡では最初に国衙に到着させる期限を設ける必要が生じるなどの不便が生じた。このため、『延喜式』民部式上でも郡によって貢納期限が異なっている事例が見受けられ、実際の貢調は綱領郡司の下で郡単位で行われたとみられている。

参考文献




調進使と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「調進使」の関連用語

1
貢調使 デジタル大辞泉
78% |||||

調進使のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



調進使のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの貢調使 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS