設置における経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:35 UTC 版)
「秋田県立秋田西高等学校」の記事における「設置における経緯」の解説
昭和50年代前半、ベビーブーム世代の高校入学を控え秋田県では、新設高校の設置が複数なされた。その中でも目玉とされていたのが秋田西高校である。当時、秋田市を中心とする中央学区では受験生の増加による、受験倍率の高さから新設高校の設置が課題となっていた。その際、設置される高校名は原則として、高校が所在する自治体名を使用する方針を県側は示していたが、秋田市内の進学校と同レベルの進学校の設置を目指していたため、潟上市(旧天王町)に設置するにも関わらず校名を秋田西高校とすることで地元に説明し反発を受けるが、最終的には秋田西高校で決定に至った。そのため、開校時は結果も必要とされ、第1期生を始め草創期の進学実績は相当なものであり秋田県内では伝説的進学実績といえる結果を残している。これについては、当時の学校報でも他校から「脅威だ」と呼ばれた話が記載されている。現在では、県内では進学12校に数えられる。
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