記録上の初見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 14:46 UTC 版)
「明王太郎」の最も古い記録は、平塚市南金目にある光明寺(金目観音)の明応2年(1493年)の墨書である。境内入り口の仁王門に立つ吽形の金剛力士像躰内に仏師「下野法眼弘円」の名とともに「大工明王太郎末孫吉宗」の銘があり、明王太郎が仁王門造立に携わっていたことが確認される。 明王太郎の名が次に現れるのは平塚市岡崎に鎮座する駒形神社の棟札で、天文16年(1547年)のものに「大工秋山郷明王太郎」とあるほか、永禄11年(1568年)の同神社棟札にも「大工秋山郷明王太郎」の名がある。また天文20年(1551年)に行われた高部屋神社の社殿再興で大工を務めた記録もあり、少なくとも室町時代までには宮大工として広く活動を行っていた。
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