角館移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 01:28 UTC 版)
角館に本拠を移転した時期については諸説ある。 応永年間 ※室町時代中期 天文年間 ※戦国時代中期 応永年間の説は戸沢家譜に「応永三十一年に戸沢家盛が角館に柵を築く」とあり、付近の神宮寺八幡宮に「平朝臣飛騨守家盛」の記録があることが根拠であるが、応永年間の仙北郡は南部氏、小野寺氏が争っている最中であり、そこに戸沢氏が割って争っていたとは考え難い。 天文年間の説は南部氏文書の「南部晴政の代に滴石に進出し、敵方を出羽に追いやった」という記録が根拠だが、そこから豊臣秀吉の小田原征伐まで、わずが40年の猶予しかなく、その間に仙北郡全域を掌握できたとは考えられない。 『戸沢氏系図』によると「正員の子政保が角館に柵を移す」とあり、家譜と比較すると文明11年(1479年)に家督を継いだ戸沢秀盛の頃である。また、神宮寺八幡宮の「平朝臣飛騨守家盛」の記録も、長享3年(1489年)と秀盛の治世の頃である。以上の事から戸沢氏の角館移転は文明年間と考えられる。
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