複数の行軍ルート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 14:44 UTC 版)
カルメル山から内陸に突き出た山の尾根は、トトメス3世とメギドの間に立っており、彼には敵軍が待ち受ける場所に行くのに3つのルートがあった。ともに山を一周する北ルートと南ルートは、軍議によって最も安全であると判断されたが、反面距離が長かった。一方、中央ルートは危険を伴っていたがより短い距離であった。このルートが危険なのは、軍隊は一列でしか移動できない峡谷の中を進まねばならないため、敵が峡谷の終わり部分で待っていた場合、エジプト軍は少しずつ倒される可能性があったためだった。よって将軍らはより安全な北か南のルートを取るようにと彼に進言したが、トトメス3世は自分の将軍が安全なルートを取るように言うならば、敵軍も当然それを想定し北と南のルートで待ち構えるだろうと思ったので、敵軍が予期しない中央ルートを取ることに決めた。なお、カデシュ王は、より可能性の高い北と南のルートには大規模な軍隊を残したが、中央ルートは事実上無視していた。 この出来事はトトメス3世の記録の中では、彼は大いなる勇気を持って行動したとされているが、エジプトの記録においてファラオによる自己賞賛は普通であるため、実際のところは定かでない。
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