蝦蟆神の退治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 04:00 UTC 版)
中世に書かれた『諏訪上社物忌令之事』(嘉禎4年(1238年)成立)と『陬波私注』(鎌倉時代末期成立)には、諏訪明神が天下を悩ませる蝦蟆神を退治する話が、元旦の蛙狩神事の起源譚として語られている。 正月一日の蝦蟆狩之事 蝦蟆神成大荒神、乱悩天下時、大明神彼ヲ退治御座し時、四海静謐之間、陬波ト云字ヲ波陬(なみしづか)なりと読り、口伝多し。望人ハ尋へし、于今年々災を除玉ふ、謂ニ蟇狩是ナリ。(『上社物忌令』(神長本)より) 【訳】蝦蟆(蛙)神が大荒神と成って、天下を乱し悩ませた時、(諏訪)大明神がこれを退治してそこにお座りになった。それによって四海静謐(天下泰平)となったので、だから陬波(すわ)と書いてナミシズカナリと読むのだ、という言い伝えが多くある。(蛙狩りを)見た人は(きっとこの神事の意味を)尋ねるだろう。(それは)昔から今に到るまで毎年々の災を除く。それがこの蛙狩りである。 蝦蟆神を退治した後、大明神が蝦蟆神の住む穴を石で塞ぎ、その上に座した、ともいわれている。 この伝承については様々な説が提出されている。その中の一つは、荒神となった蝦蟆神が土地神(ミシャグジもしくは洩矢神)を表し、この説話自体が蛇神ともされる建御名方神との神権争奪戦を意味する、という説である。
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