蛇の柱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 07:30 UTC 版)
「コンスタンティノープル競馬場」の記事における「蛇の柱」の解説
新たな首都のイメージを高めるため、コンスタンティヌス1世とその後継者(特にテオドシウス1世)は帝国全土から芸術作品を集め、コンスタンティノープルを飾った。競馬場では特にスピナ(spina、「背骨」の意)と呼ばれるトラックの中央の障壁に設置された。その中でも現在「蛇の柱」と呼ばれている記念碑はプラタイアの三脚台と呼ばれる祭壇 (en) で、元々は紀元前5世紀にペルシア戦争の一部であるプラタイアの戦いの戦勝を記念して作られたものである。コンスタンティヌス1世はデルポイのアポローン神殿からこれを持ってくるよう命じ、競馬場の中央に設置させた。この柱の頂上部には3匹の蛇の頭に支えられた金のボウルがあった。このボウルは第4回十字軍の最中に破壊または略奪された。オスマン帝国時代の細密画には蛇の頭部が描かれており、少なくとも17世紀末ごろまで蛇の頭部があった。この蛇の頭の一部は復元され、イスタンブール考古学博物館に展示されている。デルポイの三脚台で現存しているのは土台部分のみで、「蛇の柱」と呼ばれている。
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