藤本博史 (捕手)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤本博史 (捕手)の意味・解説 

藤本博史 (捕手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/14 03:13 UTC 版)

藤本 博史
基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県神戸市西区
生年月日 (1976-05-10) 1976年5月10日(48歳)
身長
体重
175 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 2001年 ドラフト14巡目
初出場 CPBL / 2007年4月7日
最終出場 CPBL / 2007年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 長崎セインツ (2008)
  • 明石レッドソルジャーズ (2010)

藤本 博史(ふじもと ひろし、1976年5月10日 - )は、兵庫県神戸市西区出身の元プロ野球選手捕手)、野球教室、バッティングセンター経営者。

来歴・人物

神戸市立玉津中学校より明石南高校に入学。2年時秋、3年時春はベスト8。95年兵庫県優秀選手に選出される。卒業後、社会人野球の道に進み、河上薬品に入社。その3ヶ月後、阿部企業に移籍。97年全兵庫に選出され、対キューバ戦のスタメンマスクをかぶるなどの活躍がある。

2000年にアメリカの独立リーグであるウエスタン・ベースボール・リーグのザイオン・パイオニアーズに所属し、その後トレードでチコ・ヒートに移籍、投手も経験している。

2001年シアトル・マリナーズ傘下AとAA、スプリングトレーニングキャンプに参加後、ザイオン・パイオニアーズの後継球団であるセントジョージ・パイオニアーズで再びプレー。

オリックス時代

2001年ドラフト14巡目指名でオリックス・ブルーウェーブに入団。なお、入団の際の契約内容はオリックスが当時下位指名の選手に対し行っていた契約金ゼロ・一軍出場数による出来高払い制の変則契約である。2003年オフに自由契約となる。

米独立リーグ・社会人・台湾時代

2004年、オリックス・ブルーウェーブの仰木監督就任にあたり、同年2月1日から宮古島で行われた、オリックス・ブルーウェーブの春季キャンプに吉井理人とともに参加後、アメリカ独立リーグ・ノーザンリーグカンザスシティ・ティーボーンズでプレーした。

2005年社会人野球クラブチーム茨城ゴールデンゴールズ(以下茨城GG)と契約。大塚製薬と個人スポンサー契約を結び、練習試合に限り「アミノバリュー藤本」の名前でプレーした。

2006年WBCブルペン捕手として帯同し、世界制覇に貢献した。当時着用していた背番号は73。

2007年台湾プロ野球 (CPBL)中信ホエールズでプレー。

独立リーグ(日本)時代

2008年四国・九州アイランドリーグ長崎セインツに選手兼任コーチとして入団する[1]が、同年退団[2]。その後、12球団合同トライアウトに参加する。

2009年6月11日、関西独立リーグ明石レッドソルジャーズに入団。

2010年よりコーチ兼任となる。同年8月20日、北川公一監督の休養により監督代行に就任[3]。そのシーズン限りで明石は活動休止となる (休止のまま、2013年限りで関西独立リーグ自体が解散した)。

プロ野球選手引退後

2011年-2013年は(スポーツマネジメント会社)株式会社バウ企画にサラリーマンとして勤務。その後2013年に株式会社Pelotaを設立し、兵庫県明石市でピエンサベースボールアカデミー、兵庫県神戸市でバッティングセンターを経営している。

2001年オリックス選手時代よりイチローのオフシーズンのトレーニングサポートを19年間務めている。

2019年にイチローが設立したチーム『KOBE CHIBEN』でもイチローとバッテリーを組む捕手としても活躍している。

詳細情報

NPB記録

  • 一軍公式戦出場なし

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007 中信 24 79 75 7 19 2 1 0 23 6 0 0 2 0 1 0 1 10 6 .253 .273 .307 .579
通算:1年 24 79 75 7 19 2 1 0 23 6 0 0 2 0 1 0 1 10 6 .253 .273 .307 .579

背番号

  • 65 (2002年 - 2003年)
  • 41 (2005年 - 2006年)
  • 44 (2007年)
  • 91 (2008年)
  • 10 (2009年 - 2010年)

脚注

  1. ^ 長崎Sの新コーチに藤本博史氏 (元オリックス)が選手兼任で就任 - 四国・九州アイランドリーグニュースリリース (2008年4月1日)
  2. ^ 長崎Sの前田監督代行と藤本コーチ退団のお知らせ - 四国・九州アイランドリーグニュースリリース (2008年11月6日)
  3. ^ 明石レッドソルジャーズ球団ブログ

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤本博史 (捕手)」の関連用語

藤本博史 (捕手)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤本博史 (捕手)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤本博史 (捕手) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS