藤原能忠
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藤原 能忠(ふじわら の よしただ、承徳2年(1098年)[1]または康和2年(1100年)[2] - 天治2年7月29日(1125年8月29日))は、平安時代後期の貴族。藤原北家御堂流、権中納言・藤原長忠の子。官位は正五位下・左少弁。
経歴
白河院政期後期の保安3年(1122年)父・藤原長忠の権中納言辞任と引き替えに、能忠は中務大輔から権右少弁に遷る。翌保安4年(1123年)左少弁に昇任されるが、天治2年(1125年)7月29日卒去。享年28[1]または26[2]。
人物
官歴
注記のないものは『弁官補任』による。
- 時期不詳:従五位上。中務大輔
- 保安3年(1122年) 12月22日:権右少弁、元中務大輔
- 保安4年(1123年) 12月20日:左少弁
- 時期不詳:正五位下[4]
- 天治2年(1125年) 7月29日:卒去[2]
系譜
『尊卑分脈』による。
- 父:藤原長忠
- 母:藤原宗実の娘
- 生母不詳の子女
- 男子:延杲
脚注
参考文献
- 藤原能忠のページへのリンク