藤原能忠とは? わかりやすく解説

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藤原能忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 07:31 UTC 版)

藤原 能忠(ふじわら の よしただ、承徳2年(1098年[1]または康和2年(1100年[2] - 天治2年7月29日1125年8月29日))は、平安時代後期の貴族藤原北家御堂流権中納言藤原長忠の子。官位正五位下左少弁

経歴

白河院政期後期の保安3年(1122年)父・藤原長忠権中納言辞任と引き替えに、能忠は中務大輔から権右少弁に遷る。翌保安4年(1123年)左少弁に昇任されるが、天治2年(1125年)7月29日卒去享年28[1]または26[2]

人物

漢詩を作り、賢かったという(『今鏡』)[3]

官歴

注記のないものは『弁官補任』による。

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原長忠
  • 母:藤原宗実の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:延杲

脚注

  1. ^ a b 『弁官補任』
  2. ^ a b c 『中右記目録』
  3. ^ 『今鏡』藤波の下 第六 ますみの影
  4. ^ 『尊卑分脈』

参考文献




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