藤原定家の思い入れ
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少将の歌才に惚れ込んだ定家は、それから5年を経た嘉禎3年(1237年)に数え76の老体に鞭打って自ら『古今和歌集』20巻1111首を筆写し、その末尾に「歌道にたいへんご堪能な少将殿には甚く感じ入るところがありました。そこで、今や私は盲人同然なのですが、そんなことを顧みもせずにまた筆をとり、こうしてなんとかこれを書き終えることができました。何かの折にご覧いただければと思い貴殿に進呈するものです」といった意味の奥書を入れて、これを少将に贈呈したことが知られている。この話は南北朝時代の僧で歌人の頓阿がその随筆『井蛙抄』の中で紹介しているものだが、その頓阿自身も、藤原信実の三人娘は皆優れた歌人だが、中でも藻璧門院少将は「特に秀逸」だとこれを格段に賞賛している。ちなみに定家は『新勅撰和歌集』に少将の歌を6首、頓阿ものちに自らが撰者をつとめた『新拾遺和歌集』に少将の歌を2首、それぞれ選入している。
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