藤井松平家の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 01:19 UTC 版)
堀田家の後は大和郡山より藤井松平家の松平(藤井)信之が入る。信之は貞享2年(1685年)に老中となり、古河藩に移封されて従四位下に叙された。古河藩主になると幕政を批判して弾圧されて蟄居の処分を受けた陽明学者の熊沢蕃山の身柄を預かったが、入封した翌年に死去した。第2代藩主には長男の忠之が相続するが、元禄6年(1693年)に乱心して発狂したとして改易され、身柄は弟信通の大和興留藩に預けられて2年後に失意のうちに死去している。 この改易に関しては、忠之が罪人として預かっていた熊沢から農業政策の指導を受けて藩政に介入させ、熊沢の指導により「蕃山堤」と呼ばれる堤防を築くなど幕府の心証を著しく害してしまい、また忠之が熊沢の扱いをめぐり幕府と対立したため改易に追い込まれたとする説も存在する。
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