藤井松平家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 17:01 UTC 版)
代わって上野高崎藩5万石より藤井松平信吉(徳川家康の異父妹の子)が5万石で入ったが、信吉は翌年の元和6年(1620年)8月1日に死去した。その後を継いだ第2代藩主・松平忠国は、越後村上藩主・村上忠勝など改易された大名の預かりや丹波福知山藩の城番などを務めた。また、藩政においても検地の実施や城下町の整備、社寺の建設、文化振興などを行った。 その後、忠国は慶安2年(1649年)7月4日に播磨明石藩7万石へ移封された。
※この「藤井松平家時代」の解説は、「篠山藩」の解説の一部です。
「藤井松平家時代」を含む「篠山藩」の記事については、「篠山藩」の概要を参照ください。
- 藤井松平家時代のページへのリンク