葉住利蔵とは? わかりやすく解説

葉住利蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 06:17 UTC 版)

葉住利蔵
はすみ りぞう
生年月日 1866年8月15日
出生地 日本 上野国太田
(現・群馬県太田市
没年月日 (1926-09-14) 1926年9月14日(60歳没)
出身校 横浜商業学校卒業
前職 商家
所属政党 無所属→)
立憲政友会
選挙区 群馬県郡部選挙区
当選回数 2回
在任期間 1912年5月15日 - 1917年1月25日
当選回数 2回
在任期間 1898年 - ?
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葉住 利蔵(はすみ りぞう、慶應2年7月6日1866年8月15日) - 大正15年(1926年9月14日)は、日本の実業家政治家上野国太田(現・群馬県太田市)出身[1][2]。号は松堂。

経歴

商家葉住利右衛門の長男として生まれた[1][2]明治18年(1885年)3月、横浜商業学校を卒業して帰郷し、家業に励んだ[1][2]

明治21年(1888年)、太田町商工会の設立に奔走し、会頭に推された。

明治31年(1898年)には新田銀行(現群馬銀行)を設立して頭取となり、同43年(1910年)には利根発電を設立して社長に就任し、電灯を太田に灯した。この間、同41年(1908年)には藪塚石材軌道(後の太田軽便鉄道、現東武桐生線)を開き、社長として運輸業の発展にも貢献した。

政界においては明治31年(1898年)から県会議員として2期つとめた。同45年(1912年)、群馬県郡部の第11回衆議院議員総選挙で当選し、立憲政友会衆議院議員として2期6年間つとめる。晩年は新田郡教育会長をつとめ、金山図書館(市指定重要文化財)を設立するなど教育の振興にも尽力した[2]

大正15年(1926年)9月14日、病没。

脚注

  1. ^ a b c 『大日本人物史』は18頁。
  2. ^ a b c d 『群馬県人名大事典』417頁。

参考文献

  • 『大日本人物史 : 銀婚記念 1925年』大日本人物史編纂社、1925年。
  • 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。

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