萬福寺と日蓮聖人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 06:16 UTC 版)
「萬福寺 (大田区)」の記事における「萬福寺と日蓮聖人」の解説
日蓮は弘安5年(1282年)に病を得て常陸国へ湯治に向かう途中馬込にほど近い池上 (大田区)の武蔵国池上宗仲邸、現在の池上本門寺に立ち寄り10月13日にその地で遷化するが、池上に到着する前に馬込を通っている。その際に萬福寺が大井から移される前に既に馬込に建立されていた阿弥陀堂に宿を求めたところ住持は快諾し日蓮一行に宿を提供したと伝えられている。9月18日の夜のことであったという。 それを謝して日蓮は身につけていた鬼子母神尊像を萬福寺を寄進したと伝えられている。この鬼子母神尊像は昭和の初めに何者かに持ち去られ行方が分からなくなっていたが、昭和62年(1987年)に所持者から申し出があり奉納され再び萬福寺に安置されている。 後日「馬込村へはわが宗旨は拡めず」との日蓮の言葉が伝えられ、言葉通りに第二次世界大戦前まで馬込には日蓮宗の寺院は一院もなかったという。また「本門寺席順」という伝説があり、本門寺においては「第一番池上家当主席、第二番萬福寺住職席」とすると言われている。昭和62年(1987年)本門寺第八十世貫主金子日威が遷化した際の本葬において萬福寺住職席が二番目に設けられ各宗派の管長や法主よりも上座となっていたという。
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