菅江真澄の肖像画について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 03:22 UTC 版)
「菅江真澄」の記事における「菅江真澄の肖像画について」の解説
1928年(昭和3年)9月、秋田考古会が柳田国男を招き、南秋田郡寺内村(現秋田市寺内)の古四王神社で菅江真澄百年祭を行った。このとき、真澄関係資料の目録が編集され、真澄の肖像画と伝えられる肖像の模写が4軸も出品されている。しかし、現在確認されている肖像画は1軸のみである。10歳余りのころ、実際に菅江真澄に会った石井忠行はこの肖像画を見て、「像の顔は赤く少し肥えている方だが、自分の記憶では真澄の顔は青白く、背丈は低い方でやせていたので、像とは印象が違う」と感じ、真澄の歌友であった西勝寺の隠居に尋ねたり、彼の知人にも話を聞いた結果、菅江真澄は背が低いが肥えた方で、顔色は白かったということであった。
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