荀子「性悪説」との比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 16:10 UTC 版)
詳細は「性悪説」を参照 孟子より数十年遅く活躍した荀子は、孟子の「性善説」を批判した。この根本には「性」に関する孟子とは異なった定義がある。荀子は「性」を自然そのままの本質と考える。これは荀子が「天」を理法的な存在、あるいは宗教的なものとして捉えず、nature的な自然として理解するからである。荀子が「性」という時、欲望も含んだものとして捉えられている。そして自然そのままの本性を「悪」とした。というのも、人の「性」とその作用である「情」を放任すると、争いなどがおこり社会的混乱を招くからだという。したがって外在する「礼」によって人を矯正・感化する必要があるのだと説いた。しかし孟子「性善説」が悪の起源について矛盾を抱えていたのと同様、荀子の「性悪説」もまた善なる「礼」が何に由来するのかという点において矛盾を内包する学説であった。 ただ孟子・荀子ともに人を道徳的に統冶しようとする姿勢は共通のものであって、それは思想的に道徳論にとどまるものであった。
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