花山院定教 (左近衛中将)とは? わかりやすく解説

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花山院定教 (左近衛中将)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/28 02:15 UTC 版)

花山院 定教(かざんいん さだのり、寛永6年10月1日1629年11月15日) - 承応2年12月12日1654年1月30日))は、江戸時代前期の公卿明正朝(109代)から後西朝(111代)期の朝臣。最終官位従三位左近衛中将藤原北家師実花山院家23代当主。

左大臣花山院定好の次男。母は関白鷹司信尚の姫。兄に花山院忠広、弟に花山院定誠がいる。

寛永16年(1638年)に叙爵。寛永20年(1642年)に元服し、左近衛中将に任命される。正保3年(1646年)に従三位となり、慶安2年(1649年)には踏歌節会外弁をつとめたが、承応2年(1653年)に死去。享年25。





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