芝ヶ原古墳群とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 芝ヶ原古墳群の意味・解説 

芝ヶ原古墳

(芝ヶ原古墳群 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 00:40 UTC 版)

芝ヶ原古墳

墳丘
(右に後方部・くびれ部、左の道路に前方部欠失部)
別名 芝ケ原古墳/芝ヶ原12号墳
所属 久津川古墳群(芝ヶ原古墳群)
所在地 京都府城陽市寺田大谷
位置 北緯34度51分45.89秒 東経135度47分0.81秒 / 北緯34.8627472度 東経135.7835583度 / 34.8627472; 135.7835583座標: 北緯34度51分45.89秒 東経135度47分0.81秒 / 北緯34.8627472度 東経135.7835583度 / 34.8627472; 135.7835583
形状 前方後方墳
埋葬施設 組合式木棺直葬
出土品 副葬品多数・土師器
築造時期 3世紀中葉
史跡 国の史跡「芝ヶ原古墳」
有形文化財 出土品(国の重要文化財
地図
芝ヶ原古墳
テンプレートを表示

芝ヶ原古墳(しばがはらこふん、芝ケ原古墳/芝ヶ原12号墳)は、京都府城陽市寺田大谷にある古墳。形状は前方後方墳久津川古墳群(うち芝ヶ原古墳群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されている。

概要

京都府南部、城陽市北部の丘陵上に築造された古墳である[1]。一帯では久津川車塚古墳を始めとする久津川古墳群が分布し、その支群の芝ヶ原古墳群を構成する古墳の1つ(芝ヶ原12号墳)になる[2]1986年昭和61年)に宅地開発に先立つ発掘調査が実施されている[1]

墳形は前方後方形で、前方部を南に向けたが、現在では前方部は削平されている(残存長は21メートル)[1]。墳丘の段築は認められておらず、墳丘外表で葺石は認められていない[1]。また墳丘周囲には周溝が巡らされる[1]。埋葬施設は組合式木棺の直葬で、木棺は長さ3メートル・幅0.8メートル[2]、木棺を埋納した土壙は長さ4.7メートル・幅2.5メートルを測る[1]。木棺内からは銅鏡・銅釧・玉類などの副葬品が出土しており[1]、特に銅釧の出土は珍しい例として注目される[3]

築造時期は、古墳時代初頭の3世紀中葉[3](または3世紀前半[4])頃と推定される。南山城地方では椿井大塚山古墳に先行し、当時としては一帯で最有力の首長墓の1つに位置づけられる[1]

古墳域は1989年平成元年)に国の史跡に指定され[5]、出土品は1990年(平成2年)に国の重要文化財に指定されている[6]。現在では史跡公園として整備されたうえで公開されている。なお、2016年(平成28年)には久津川車塚古墳などの古墳4基を包括する国の史跡「久津川古墳群」が指定されたが[7][8]、本古墳はこれには含まれていない。

遺跡歴

  • 1986年昭和61年)6-8月、宅地開発に伴う発掘調査(城陽市教育委員会、1987年に報告)[5]
  • 1989年平成元年)9月6日、国の史跡に指定[5]
  • 1990年(平成2年)6月29日、出土品が国の重要文化財に指定[6]
  • 20082009年度(平成20・21年度)、史跡整備に伴う発掘調査(城陽市教育委員会、2014年に報告)。
  • 2012年(平成24年)1月24日、史跡範囲の追加指定[5]
  • 2012年度(平成24年度)、史跡整備に伴う発掘調査(城陽市教育委員会、2014年に報告)。

墳丘

後方部墳丘

墳丘の規模は次の通り[2]

  • 後方部
    • 南北:21メートル
    • 東西:19メートル
  • 前方部
    • 長さ:約3.5メートル
  • くびれ部
    • 幅:11.6メートル

出土品

四獣鏡
城陽市歴史民俗資料館(五里ごり館)展示(他画像も同様)。
銅釧

木棺内から出土した主な副葬品は次の通り(いずれも北小口付近から出土)[1][2]

  • 四獣形鏡 1面 - 仿製鏡で、直径12センチメートル。
  • 銅釧 2点 - 同笵。
  • 硬玉製勾玉 8点
  • 碧玉製管玉 187点
  • ガラス製小玉 1,276点
  • ヤリガンナ 1点

以上のほか、墓壙上面の礫敷からは供献土器片として二重口縁壺4点・高坏1点などの庄内式土器が出土している[1][2]

文化財

重要文化財(国指定)

  • 京都府芝ケ原古墳出土品(考古資料) - 内訳は後出。城陽市歴史民俗資料館保管。1990年(平成2年)6月29日指定[6]
国の重要文化財「京都府芝ケ原古墳出土品」の明細
  • 銅釧 2箇
  • 四獣鏡 1面
  • 玉類
    • 硬玉勾玉 8箇
    • 碧玉管玉 187箇
    • ガラス小玉 残欠共 一括
  • 鉄鉇 1本
  • 鉄針残欠 一括
  • 鉄鏃残欠 1本
  • 土師器残欠 一括
  • 附 土師器残欠・埴輪残欠 一括

国の史跡

  • 芝ヶ原古墳 - 1989年(平成元年)9月6日指定、2012年(平成24年)1月24日に史跡範囲の追加指定[5]

関連施設

  • 城陽市歴史民俗資料館(五里ごり館)(城陽市寺田今堀) - 芝ヶ原古墳の出土品を展示。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 京都府埋蔵文化財情報 第104号 2007, pp. 36–37.
  2. ^ a b c d e 国指定史跡ガイド.
  3. ^ a b 国指定の史跡・重要文化財 > 芝ケ原古墳(城陽市観光協会)。
  4. ^ 史跡 芝ヶ原古墳(城陽市教育委員会)。
  5. ^ a b c d e 芝ヶ原古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  6. ^ a b c 京都府芝ケ原古墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. ^ 「史跡等の指定等について」 (PDF) (文化庁記者発表、2016年6月17日)。
  8. ^ 平成28年10月3日文部科学省告示第144号。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板
  • 「芝ケ原古墳」『京都府埋蔵文化財情報 (PDF)』104号、京都府埋蔵文化財調査研究センター、2007年、36-37頁。  - リンクは京都府埋蔵文化財調査研究センター。
  • 芝ヶ原古墳」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 和田晴吾「芝ケ原墳丘墓」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 『芝ケ原古墳』城陽市教育委員会〈城陽市埋蔵文化財調査報告書第16集〉、1987年。 
  • 『芝ヶ原古墳発掘調査・整備報告書』城陽市教育委員会〈城陽市埋蔵文化財調査報告書第68集〉、2014年。 

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「芝ヶ原古墳群」の関連用語

芝ヶ原古墳群のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



芝ヶ原古墳群のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの芝ヶ原古墳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS