自己包含的な原理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:07 UTC 版)
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の記事における「自己包含的な原理」の解説
ロバート・ノージックは説明というものの構造を考えた上で、説明関係を樹状構造として書いた場合、その終端は三種類の形式を取る可能性があると指摘した。いわゆるミュンヒハウゼンのトリレンマと呼ばれる正当化の連鎖に関する分析と同じものである。ひとつ目は端がなく説明の連鎖が無限に続く場合(無限後退)、二つ目はどこかで循環が生じている場合(循環論法)、そして三つ目が終点がある場合である。そしてこの終点となる説明について、それを問題ないものとしうる場合があるとすれば、それは「説明的に自己包含的な(explanatory self-subsumption)」究極の原理、自分自身で自分自身を説明する何か(自己言及)、であろうとして、そうした場合についての検討を行った。
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