臨床医志望から研究者志望へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:53 UTC 版)
「山中伸弥」の記事における「臨床医志望から研究者志望へ」の解説
神戸大学医学部医学科を卒業後、国立大阪病院整形外科で臨床研修医として勤務。学生時代、柔道やラグビーで10回以上骨折するなどケガが日常茶飯事であったため整形外科の道を選んだが、研修では本人曰く「この世の物とは思えないくらい怖い先生」が待ち受けていて、他の医者と比べて技術面において不器用であったことから、指導医からは時に罵倒され、周囲から「レジスタント」「ジャマナカ」と揶揄されることもあり、「向いていない」と痛感したという。重症になったリウマチの女性患者を担当し、患者の全身の関節が変形した姿を見てショックを受け、重症患者を救う手立てを研究するために研究者を志すようになった。
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