臣籍降下したという説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 02:16 UTC 版)
岡部伊都子や梅原猛らは談山神社所蔵の「栗原寺三重塔伏鉢」(国宝)銘文に見える「比売朝臣額田」(ひめのあそみぬかだ)について臣籍降下した額田王の改名とする説を唱えている。もしこの説が正しいとすると額田王は当時藤原氏一族の有力者であった藤原大嶋と再婚し80歳近くまで生きていたことになる。しかし「比売」という氏族は他に現われないので「比売陀」の脱字とみられ、比売陀君が八色の姓の「朝臣」を賜ったものである。比売陀氏は開化天皇の末裔で履中天皇の時に比売陀君を賜ったと古事記にあり、古くから存在する氏族なので額田王の臣籍降下ではありえない。もし「比売陀」とは別に「比売」という氏族が存在したのだと仮定しても、額田王が臣籍降下したのなら「比売真人額田」(ひめのまひとぬかだ)となっているはずであり王族出身の額田王が「朝臣」姓を賜るということはありえないので、この説は成り立たない(ただし上述の威奈氏と同族という説によれば「威奈真人額田」となるが、兄弟たちと異なる「比売」氏を賜るということはありえなくはない)。
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