西谷藩とは? わかりやすく解説

西谷藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/25 02:19 UTC 版)

西谷藩(にしやちはん)は、江戸時代前期の徳川綱吉の時代にごく短期間、能登国に置かれた。1698年、徳川譜代の名門である水野家備後福山藩10万石)が無嗣により改易された際、同族の水野勝長による名跡継承が認められ、1万石が与えられて成立した。水野家が能登の領地を知行したのは2年あまりで、1700年には下総結城藩に転出した。


注釈

  1. ^ 京都町奉行を務めた。
  2. ^ a b 勝成は同族の水野勝信を養子に迎え四男として扱っているため、勝信を数えず勝則を「四男」、勝忠を「五男」とすることもある。
  3. ^ 勝寿の父・勝則は一時期幕府に出仕して3000石の旗本となったが、病のために務めを辞して備後福山に住んだ[5]。勝寿は福山藩に仕えた[5]。勝寿の通称について、『寛政譜』は「内蔵進」とする[5]
  4. ^ 高井論文に付された図表「能登62カ村の知行状況と下村陣屋役人の状況」では、西谷藩成立直前の幕府領が62か村と読みとれる図(「元禄10年」〔ママ〕に水野領46か村と幕府領16か村に分けられたとする)が示されている[8]
  5. ^ 羽咋郡内で若干異なり、神子原村などは鳥居家領にはなっていないが水野家領になっており、一方で二所宮村などは鳥居家領になったが水野家領にはなっていない[7]
  6. ^ 寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』)では、勝長は「羽咋郡西谷に住す」とある[1]
  7. ^ 本願寺の蓮如の最後の妻となった蓮能尼は、西谷内城主畠山政栄の娘で、畠山家俊の姉とされる[11]
  8. ^ 西谷内城に在城していたのは国分氏ともいう[11]
  9. ^ 西谷内の近隣に所在する谷内やち村(現在のの七尾市中島町谷内)は幕領・鳥居家領・水野家領になっている[7]が、鹿島郡所属である。西谷内は近代に羽咋郡釶打村の一部となり、釶打村は1948年に鹿島郡に所属を変更した。一方、谷内は近代に鹿島郡熊木村の一部となった。1954年の町村統合(昭和の大合併)により、釶打村や熊木村は中島町の一部となり、中島町は2004年に七尾市に編入された。
  10. ^ 元禄13年(1700年)11月12日に綱吉の命で柳沢の神田橋邸内に住んだとあり[1]、元禄14年(1701年)11月26日に綱吉が柳沢邸を訪問した際には、邸内の勝長の居宅も訪れたという[1]。同様に綱吉の小姓であった黒田直邦(大名。常陸下館藩主、のち上野沼田藩主)や三間政房・藤沢次政も柳沢邸内に居住が命じられていた[14]
  11. ^ 『寛政譜』には、勝長が領国(西谷・結城)に赴いた記録はない[1]
  12. ^ 能登天領は享保7年(1722年)に加賀藩の預かり地となった。
  13. ^ 勝長と長福とは又従兄弟の間柄となる[3]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『寛政重修諸家譜』巻三百二十八「水野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.834
  2. ^ a b c 『常憲院殿御実紀』巻三十七・元禄十一年五月三十日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第四編』p.598
  3. ^ a b c d 木原徹也 1986, p. 22.
  4. ^ 『寛政重修諸家譜』巻三百二十九「水野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.841
  5. ^ a b c 『寛政重修諸家譜』巻三百二十八「水野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.833
  6. ^ 山野学区まちづくり計画”. 山野まちづくり推進委員会. p. 56 (2015年). 2022年12月24日閲覧。
  7. ^ a b c d 高井勝己 2005, p. 55.
  8. ^ 高井勝己 2005, p. 59.
  9. ^ a b c 『旧室木家住宅総合調査報告書』, p. 6.
  10. ^ a b 高井勝己 2005, p. 58.
  11. ^ a b c 釶打村(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年12月23日閲覧。
  12. ^ 西谷内村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年12月23日閲覧。
  13. ^ a b 高井勝己 2005, pp. 58, 61.
  14. ^ 大橋毅顕 2016, p. 24.
  15. ^ 『常憲院殿御実紀』巻四十二・元禄十三年十月廿八日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第四編』p.686
  16. ^ a b 結城藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2022年12月24日閲覧。
  17. ^ 『常憲院殿御実紀』巻四十三・元禄十四年一月十一日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第四編』pp.692-693
  18. ^ a b 『常憲院殿御実紀』巻四十七・元禄十六年一月九日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第四編』p.761
  19. ^ 水野梅径”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年12月24日閲覧。
  20. ^ a b 木原徹也 1986, p. 1.


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