胸像と浮見堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/01 09:24 UTC 版)
増次郎は公私に渡り様々な功績を残したが、日頃から増次郎を尊敬している人々や古くからの知人、友人が中心となり増次郎を顕彰する話が持ち上がった。色々と協議した結果、胸像を建立する事になった。彫刻家に依頼し、1959年(昭和34年)5月に除幕式が行われた。 しかし好意に甘えているわけにはいかないと考えた増次郎は色々、思案を巡らせた。1948年(昭和23年)8月28日に遊覧船が浅瀬に乗り上げて転覆。14人の乗客が水死するという大惨事があった。「あの時、あの場所に1つの目標があったら浅瀬を避ける事ができただろう。あそこに目標になるものを建てて水難事故を防ごう。」少しでも「地元の発展」に繋がるお返しをと考えた結果「浮見堂」を建立する事を決心した。自らも遊覧船事業に関わっていただけに、それは大いに意義があるものと考えた。洞爺湖の風景にマッチし、観光施設としても注目される。それらの点を兼ね備えたものとして浮見堂「洞爺湖浮見龍神塔」を建立した。
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