聖王としての問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/18 18:13 UTC 版)
「オーラヴ2世 (ノルウェー王)」の記事における「聖王としての問題点」の解説
かつてはオーラヴがノルウェーのキリスト教化を進めたとみられていたが、現在ではオーラヴ自身はほとんどキリスト教化に寄与していなかったと考えられている。オーラヴは司教グリムケルをノルウェーに伴い、グリムケルは教区の創設やノルウェー教会の組織化においてオーラヴを助けたと考えられている。しかし、グリムケルは王室にのみ関与していたにすぎず、また、教区が創設されるのも1100年頃以降のことである。現在では新しい教会法をノルウェーにもたらしたのもオーラヴとグリムケルではないと考えられているが、オーラヴによるものとされていた。ただ、オーラヴはノルウェー内にキリスト教を広めようとしたことは事実のようである。 また、キリスト教徒としてのオーラヴについても疑問点が残されている。オーラヴは、他のスカンジナビアの王と同様にキリスト教を権力の拡大と集権化に用いたとみられている。オーラヴによるスカルド詩にはキリスト教について全く触れられておらず、恋愛に関する叙述には北欧神話が用いられており、しかもオーラヴが多くの妻を持っていたとも考えられているからである。 オーラヴの事績については、スカンジナビアにおけるキリスト教化の長い過程の中で別個のキリスト教徒によってなされたものが融合した結果、できあがったものとみなす説もある。この説ではオーラヴがキリスト教徒でなかったとはしていないが、 後世の聖人伝やサガにあるようにスカンジナビアで速やかにキリスト教化が進んだとは考えられないとしている。オーラヴは後世の文献にはノルウェーのキリスト教化を速やかに進めた奇跡的な人物として描かれているが、オーラヴのスカルド詩にあるように実際にはそのような事実はなかった。
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