聖母草案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:46 UTC 版)
元来、聖母マリアに関する草案 (De Beata Maria Virgine, Matre Dei et Matre hominum) は独立した文書だった。一方のオッタヴィアーニはこれを単独の決議文として成立させようとしていた。他方、第2会期前のフルダ会議でカール・ラーナーはが「エキュメニカルな観点から見て悪い結果をもたらす」ので「分裂の原因を避ける平和的な妥協」を求めている。ラッツィンガー、グリルマイアー、ゼンメルロートも同意見であった。 9月30日に第2会期が始まるやいなや、フリンクスは聖母草案を「過度なマリア信心」と批判し、短縮し教会論の一部に編入すべきという意見を出した。10月2日には、シルバ枢機卿もマリア論を教会論の一部とするべきと主張した。 10月3日、デ・アリッバ枢機卿は司教60人の連名で、マリア論は単独の草案とすべきだと要求し、約600人の司教の陳情書が提出された。10月24日、サントス枢機卿は、単独の聖母草案を求める代表として審議報告を行い、他方でケーニヒは編入を求める代表として報告を行った。 10月29日、聖母草案をめぐり単独か編入かを問う投票が行われ、教会論への編入を要望する意見が賛成 1114 対 反対 1074 と僅差で多数を占めた。
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