聖ジョセフノートルダム高校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 04:08 UTC 版)
「ジェイソン・キッド」の記事における「聖ジョセフノートルダム高校」の解説
高校は聖ジョセフノートルダム高校に進学。すぐにチームのエース格となり、1991年のシーズンには同校のバスケットチームを州タイトルへと導く。学校の英雄となったキッドは大変な人気者となり、試合の前後にはファンが集団で彼の元に押し寄せてはサインを求め、キッドをプリントした高校の公式Tシャツの売り上げは四桁に及び、膨れ上がる観衆に対応するために聖ジョセフ高の試合は定期的にオークランド・コロシアムで行われた。1992年のシーズンにキッドは平均25得点7リバウンド10アシスト7スティールという成績を残してネイスミス賞やUSAトゥデイ紙、パレード誌選出の年間最優秀選手、マクドナルド・オール・アメリカンなど、数々の賞を受賞し、チームを州タイトル連覇に導いた。後に、マクドナルド・オール・アメリカンの偉大な35人に選ばれている。 カレッジバスケ界からも注目の的となったキッドは多くの名門大学からの勧誘を受け、あるいは高校卒業後は大学に進学にせず、そのままNBA入りするのではないかという話もあった。キッドはカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)への進学を選び、多くのカレッジバスケ関係者を困惑させた。当時のUCバークレーのバスケットボールチームはお世辞にも強豪とは言えず、キッドが入学する前年のシーズンは10勝18敗と負け越しており、パシフィック・テン・カンファレンス(Pac-10)タイトルは1960年に優勝したのを最後に長らく遠ざかっていた。キッドがUCバークレーを選択した理由は至極単純なもので、UCバークレーのキャンパスが自宅から近いからというものだった。
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