耕作・機織の禁止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:46 UTC 版)
鉄の農具を土に立てることを忌み、耕作は禁じられた。また、この島は「女神の御神体内」であることから、古より女性の仕事の象徴とされた機織や布晒(ぬのさらし)も禁忌とされていた(※『山の神』を参照のこと)。『棚守房顕覚書』は「絶えて五穀を作らず、布織り布さらす事を禁ず」と記している。特に耕作が禁じられていることはよく知られ、島に生活する人のために対岸(※本州本島のこと)から行商人が船を出す光景は第二次世界大戦後(戦後)まで続いた。廿日市(二十日の市)は、鎌倉時代、厳島のために立った市場から発展した町である。
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