翹岐の正体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 10:14 UTC 版)
鈴木靖民は翹岐=豊璋同一人物説を唱えており、翹岐(豊璋が)「大乱」によって太子の地位を異母兄に奪われ、倭国への人質として国外追放されたとしている。遠山美都男はさらに、豊璋の別名である「糾解」は「翹岐」と同じ音の朝鮮語を漢字に直したものではないかと述べている。 その両者でもない、武王の子である王族だと解釈することもでき、日本と百済との交流が密接だった事実を示しているとも見ることもできる。
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