羽川古館・新館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 12:41 UTC 版)
前述の羽川氏が居城したとされる城郭で、羽川地区に存在した。羽川氏は、新田義貞の血筋で、応永年間に当地に入部し、鮎川流域を支配したとされている。築城時期は不明であるが、当初、「羽川古館」(はねかわふるだて)が、菩薩寺である珠林寺に程近い、現在の秋田県道240号川添下浜停車場線近くに築城された。その後、戦国期になると、「羽川新館」(はねかわしんだて)が「羽川古館」南西側の丘陵に築城された(古館は、新館が築城された際に廃城したものと考えられている)。羽川新館はいわゆる平山城と呼ばれるタイプの城郭で、「韮山館」とも呼ばれた。「韮山館」と呼ばれるようになったのは、天正年間に城主だった羽川小太郎義稙が土塁に韮を植え、敵が滑りやすいようにしたためと言われている。1588年に、亀田地区に赤尾津城を築城した赤尾津氏の謀略によって落城、以後は赤尾津氏の属城になったとされている。現在、当時の建物は一切残っていないが、新館の跡地は公園として東屋等が整備され、往時を偲ぶことが出来る。なお、古館の跡地は、林となっている。
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