義民 四郎右衛門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 23:52 UTC 版)
「芝村 (兵庫県)」の記事における「義民 四郎右衛門」の解説
近世、この村は穢多などの被差別階層の人々が集住を強制された「かわた村」であった。彼らは周辺の村の農地の小作に従事し、自治権を持たず、主郷である中村から枝郷として支配を受けていたほか、周囲の村々から迫害を受けた。 1824年3月5日(文政7年2月5日)、戸長の吉岡四郎右衛門が村の分離独立をはかり、領主の道中行列に対し、厳禁であった直訴をした。侍従がこれを阻むが彼は屈せずに駕籠を追って膝行し、ついには帰らぬ人となった。村民は四郎右衛門の行を徳として毎年2月5日に彼を慰霊する「五日祭(四良右衛門祭)」を開くようになった。四郎右衛門の慰霊碑は西福寺の西隣(旧神明八幡神社跡地)に立つ。
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