美人画受難の年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 01:48 UTC 版)
また同年の第10回文展では、享保期の風俗に取材し、身分、年齢もさまざまな多くの人物を画中に描き込んだ大作「燈籠流し」を出品するものの落選の憂き目を見た。これには前年の第9回展で大量の入選者を出したことと、「美人画室」を特設するほど多くの美人画が出品されたことへの反省、反動が働いたとされ、関西出身の女性画家の作品も岡本更園のものを除いてことごとくが落選した。入選が確実視されていたこの作品が選にもれたことを、鏑木清方も惜しんで「島成園女史の作は・・・・落選すべきものとは思はれないが聞くところに依れば、色調の弱すぎた為と云ふことである。・・・・大阪の作家は・・・・一種の濁った色調を持っている・・・・『燈籠流し』も取材の非常に優れたものであつたに係らず選に入らなかったのは、此色調の為であつたらうと思ふ(中央美術 大正5年5月)」と擁護した。
※この「美人画受難の年」の解説は、「島成園」の解説の一部です。
「美人画受難の年」を含む「島成園」の記事については、「島成園」の概要を参照ください。
- 美人画受難の年のページへのリンク