緑風荘における座敷わらし伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 08:15 UTC 版)
「緑風荘」の記事における「緑風荘における座敷わらし伝承」の解説
1300年(南北朝時代)、南朝の武将が北朝(足利尊氏)方との戦いに敗れ落武者となり大和国(現・奈良県)から武蔵国五日市(現・東京都あきる野市)に落ち延びこの地名を苗字とした。しかし、この地は関東の勢力範囲内でそこから更に陸奥国(金田一)に落ち延びる。この時6歳と4歳の男の子がおり、金田一までの旅路で兄の亀麿(かめまろ)は病にかかり死去する。死の床で「末代まで家を守り続ける」と言い息を引き取った。 この亀麿の霊が奥座敷「槐の間」に棲みつき「家の守り神」となり、時々客人に姿を見せたり悪戯をするようになったと言い伝えられている。この部屋に泊まり座敷わらしに出会えると驚くほどの幸運に恵まれ男は出世し、女は玉の輿にのると一般的に言われている。
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