緑茶の改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 06:17 UTC 版)
八女地方でも国内市場向けに生産を行うようになり、当時、釜炒茶(=筑後茶)よりも人気のあった蒸製緑茶に再び注目が集まった。その当時、全国の茶市場を席巻していた静岡製 (宇治製に改良を加えた現在の煎茶) を手本にするべく、静岡から技師を迎え、静岡製煎茶の伝習を行い、茶園 (かまぼこ型) 管理を徹底し、全面的に蒸し製手揉み (現在の煎茶) への転換を行っていった。 この製茶方法の転換の成功を機に、大正初期 八女郡西部の丘陵地帯(現在の八女市岡山周辺)に植えられていた櫨 (和ろうそくの原料) の生産が電球の発明により衰退してきていたことで、櫨の代わりに茶園が造成され始めた。 この西部櫨地帯における茶園の造成が、旧来の茶園である東部山間地帯の茶の転換と軌を同じくしたことは、当地方の茶業を発展させる最大の好機となった。
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