経・伝に対する杜預注の配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 02:30 UTC 版)
「春秋経伝集解」の記事における「経・伝に対する杜預注の配置」の解説
『春秋』の経文と『左伝』の伝文に対する杜預自身の注釈は、経文・伝文のテキストに密着する形で施された。具体例として、『左伝』成公10年の例を示す。地の文が『左伝』の本文で、括弧の中が杜預注である。 公曰、何如。曰、不食新矣。(言公不得及食新麥。)公疾病、求醫于秦。秦伯使醫緩為之。(緩、醫名。為猶治也。)未至、公夢疾為二豎子、曰、彼良醫也、懼傷我、焉逃之。其一曰、居肓之上、膏之下、若我何。(肓、鬲也。心下為膏。) — 杜預、『春秋経伝集解』成公10年 このように、経と注が一つの本に合わせて書かれるようになったのは、後漢の馬融からとされ、他に王逸『楚辞』注、趙岐『孟子』注、高誘『淮南子』注などの例がある。
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