組合員の結束をめざした「太子講」 - 「紙まつり」
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「黒谷和紙」の記事における「組合員の結束をめざした「太子講」 - 「紙まつり」」の解説
黒谷和紙の生産者は「紙祖神(しそ神)」として聖徳太子を祀り、集落の氏神である熊野神社の講とあわせて毎年4月7日と11月7日に「太子講」を催した。紙漉き職人の年1回の集会であり、仲間内の結束を固めるとともに、様々な規定の改定や情報交換、製紙原料を購入する資金の相互援助等が行われた。黒谷の太子講は遅くとも江戸時代にはすでに行われていたとみられ、安政年間(1854-1860年)の販路開拓の状況を記した『紙祖神 聖徳太子』と冠する巻子本が残されている。 1973年(昭和48年)、太子講は「紙まつり」と改称され、紙漉きに携わる人々の親睦を図る場と明確に位置付けられたものの、やがて紙漉きの家が減少すると、廃れた。
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