紙王というべきか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/12 13:57 UTC 版)
『宣胤(のぶたね)卿記』の長享2年(1488年)の条に「越前打陰」(鳥の子紙の上下に雲の紋様を漉き込んだもので、打雲紙ともいう)、文亀2年(1502年)の条に「越前鳥子」の文字が記されている。「越前鳥子」の文字は他の史料にも多くあり、室町中期には越前の鳥の子が良質なものとして、持てはやされるようになっている。 元来、公式の文書は奉書紙などの楮(こうぞ)紙が用いられ、鳥の子紙が公式文書に使用されることはまれであった。 『雍州府志(ようしゅうふし)』には、「およそ 加賀奉書 越前鳥の子、是を以て紙の最となす」とあり、『和漢三才図絵』には、越前府中の鳥の子は、「紙肌滑らかにして書きやすく、性堅くして久しきに耐え、紙王というべきか」とある。近世にはいると、「薄様」の名も消えて、雁皮紙をすべて鳥の子と呼ぶようになる。ガンピ(ジンチョウゲ科の植物)の生育する北限は加賀で、都で鳥の子の名声が上がるにつれて、加賀や越前では限られた原料で、優れた技術にさらに磨きをかけて良質な鳥の子を生産して名産地としての名を築いた。材料難からガンピに近縁の三椏や楮を混ぜるようになり、現在では三椏(みつまた)を原料として漉かれている。
※この「紙王というべきか」の解説は、「鳥の子紙」の解説の一部です。
「紙王というべきか」を含む「鳥の子紙」の記事については、「鳥の子紙」の概要を参照ください。
- 紙王というべきかのページへのリンク