紀元前398年の包囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:16 UTC 版)
「セゲスタ包囲戦」の記事における「紀元前398年の包囲戦」の解説
攻撃を開始する前に、ギリシア軍はセゲスタの南方に野営地を設営したと思われる。ディオニュシオスは飢えによってセゲスタを降伏させようとしたが、都市に対する直接攻撃も何度か実施した。ギリシア軍が城壁攻撃のために攻城塔、破城槌、大型弩弓を用いたか、単純に梯子を用いて城壁を越えようとしたかは不明である。いずれの手段を用いたにせよ、ギリシア軍の攻撃は撃退された。同じくエンテラもギリシア軍の攻撃を撃退した。ディオニュシオスはモティアの攻略に集中するために、適度な兵力のみをセゲスタとエンテラに残し、モティアに戻った。ディオニュシオスは、モティアが陥落すれば、他のカルタゴ側都市も降伏すると考えていた。ディオニシュオスは罠に落ちそうになったにも関わらず、ヒミルコ率いるカルタゴ艦隊を撃退し、モティアを陥落させた(モティア包囲戦)。冬の間はシュラクサイに戻ったが、軍の一部はモティアの守備とセゲスタおよびエンテラの封鎖を継続するために残留した。
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