米台協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 08:39 UTC 版)
「2003年台湾におけるSARSの流行」の記事における「米台協力」の解説
元々米台間では1982年に台湾で流行していた小児麻痺の対応で米国CDCが派遣した専門家が流行調査を支援するなど断交後も長年の協力体制があった。陳建仁も当時は米国に留学中だったが急遽帰国し沈静化にあたっている。 4月26日、封鎖された和平医院にアメリカ疾病予防管理センター(CDC)の専門家2名が立ち入り、隔離・分離措置やテレビ会議システムによる外部への情報発信を助言:235。 中国の拒絶により難航していたウイルスの株入手でもCDCが提供し、台湾の防疫に協力した。これにより、ウイルスが香港型とほぼ一致することが判明している。 SARS発生後、米国政府は専門家24名を台湾に派遣している。 また、連邦議会上院でも台湾のWHO加入支持が全会一致で可決されたほか、米国政府も日本とともに世界保健総会(WHA)への台湾参加の支持を表明した。
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