米倉重継とは? わかりやすく解説

米倉重継(よねくら しげつぐ) ????~1575

○宗継 丹後守
◇子:米倉忠継、信継
 甲斐・武田氏臣。当主信玄旗本五人衆1人数えられる程の剛の者。矢や鉄砲玉を防ぐ為、青竹重ね油を塗って作った竹束”の考案者。この兵器中国三国時代にも登場しており、重継兵法書通じていたと思われるちなみに車輪をつけた物もあり、“車竹束”と呼ばれた長篠合戦ではこれを活用きたかどうかはわからないが、戦死

米倉丹後守

(米倉重継 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/15 06:29 UTC 版)

米倉 丹後守(よねくら たんごのかみ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将米倉重継とも。甲斐武田氏の家臣で足軽大将[1]。武田家の譜代家老・甘利氏の同心のうち筆頭格の人物で、『寛永諸家系図伝』によれば、甲斐北西部に配置された武川衆の一員[1]


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 丸島(2015)、p.707
  2. ^ a b 平山(2006)、p.189
  3. ^ 平山(2006)、pp. 188 - 189
  4. ^ 平山優『敗者の日本史9 長篠合戦と武田勝頼』(吉川弘文館、2014年)、p.224


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