平篤行
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 15:55 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動平 篤行(たいら の あつゆき)は、平安時代前期の貴族・歌人。光孝平氏、山城守・興我王の次男。官位は従五位上・大宰少弐。
経歴
仁和2年(886年)篤行を含む興我王の子女5人が平朝臣姓を与えられて臣籍降下する。
寛平5年(893年)文章生に補されると、秀才を経て、寛平10年(898年)対策に及第し、翌昌泰2年(899年)式部少丞に任ぜられる。
延喜3年(903年)従五位下・三河守に叙任されて地方官に転じると、延喜8年(908年)筑前守、延喜9年(909年)には大宰少弐を兼帯するなど地方官を歴任した。またこの間の延喜8年(908年)には治国の功労により従五位上に叙せられている。延喜10年(910年)1月卒去。
勅撰歌人として、『古今和歌集』に和歌作品1首が採録されている[1]。
官歴
注記のないものは『古今和歌集目録』による。
- 仁和2年(886年) 7月15日:臣籍降下(平朝臣姓)[2]
- 寛平5年(893年) 日付不詳:文章生(字平津)
- 時期不詳:秀才
- 寛平10年(898年) 2月23日:大和大掾。日付不詳:伊勢権少掾。3月29日:対策及第
- 昌泰2年(899年) 正月11日:式部少丞
- 延喜2年(902年) 2月23日:式部大丞
- 延喜3年(903年) 正月7日:従五位下、三河守
- 延喜7年(907年) 正月:得替
- 延喜8年(908年) 正月:従五位上(治国)。正月12日:加賀守。2月23日:筑前守
- 延喜9年(909年) 9月29日:兼大宰少弐
- 延喜10年(910年) 正月:卒去
脚注
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