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興我王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 14:24 UTC 版)

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興我王(こがおう、生没年不詳)は、平安時代前期の皇族官位従五位上山城守

出自

尊卑分脈』では式部卿是忠親王の子とされるが、是忠親王は天安元年(857年)生まれのため年代的に矛盾がある。蔭位により従五位下叙爵し、子息が平朝臣姓の賜姓を受けていることから、桓武天皇裔の三世王(曾孫)か。

経歴

清和朝初頭の貞観2年(860年无位から従五位下直叙される。貞観7年(865年大監物を経て、貞観11年(869年)従五位上に叙せられた。

清和・陽成・光孝朝にかけて、以下の通り伊勢神宮への奉幣使を務めている。

光孝朝では、筑前守を経て元慶9年(885年山城守に任ぜられるなど地方官を務めた。仁和2年(886年)子息の安平・篤行・有本・内行・潔矩が平朝臣姓を与えられて臣籍降下している[4]

官歴

日本三代実録』による。

系譜

注記のないものは『日本三代実録』による[4]

  • 父:不詳
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 長男:平安平
    • 次男:平篤行
    • 男子:平有本
    • 男子:平内行
    • 男子:平潔矩
    • 男子:平偕行[5]
    • 男子:光平[5]
    • 男子:平方正[5]
    • 男子:平季方[6]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『日本三代実録』貞観13年9月11日条
  2. ^ 『日本三代実録』元慶5年11月11日条
  3. ^ 『日本三代実録』元慶8年2月19日条
  4. ^ a b 『日本三代実録仁和2年7月15日条
  5. ^ a b c 『本朝皇胤紹運録』
  6. ^ 『尊卑分脈』

参考文献




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