篠崎八幡神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 施設 > 寺社仏閣 > 府県社 > 篠崎八幡神社の意味・解説 

篠崎八幡神社

読み方:シノザキハチマンジンジャ(shinozakihachimanjinja)

別名 篠崎神社篠崎宮

教団 神社本庁

所在 福岡県北九州市小倉北区

祭神中津日子尊 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

篠崎八幡神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/11 05:44 UTC 版)

篠崎八幡神社
所在地 福岡県北九州市小倉北区篠崎1-7-1
位置 北緯33度51分53.4秒 東経130度52分9.6秒 / 北緯33.864833度 東経130.869333度 / 33.864833; 130.869333座標: 北緯33度51分53.4秒 東経130度52分9.6秒 / 北緯33.864833度 東経130.869333度 / 33.864833; 130.869333
主祭神 応神天皇
神功皇后
仲哀天皇
宗像三女神
玉依姫命
社格 県社
創建 敏達天皇
例祭 10月第4金~日曜日
地図
篠崎八幡神社
篠崎八幡神社 (福岡県)
テンプレートを表示

篠崎八幡神社(しのざきはちまんじんじゃ)は、福岡県北九州市小倉北区にある神社。旧社格県社。篠崎八幡宮とも呼ばれる。

祭神

応神天皇神功皇后仲哀天皇の他、宗像三女神玉依姫命祀る。

歴史

敏達天皇12年(584年)、高尾山の麓に応神天皇神功皇后仲哀天皇を祀り、葛城小藤丸に奉祭させたのが神社の創始とされる。以来奈良時代藤原広嗣の乱では官軍の奉幣があるなど広く崇敬を集めていたが、藤原純友の反乱に際して戦火に罹った。文治2年(1186年)に現在地に鎮座し、以降足利尊氏等の武門の尊崇を受けたが、天正年間に大友宗麟の兵火によって再び炎上、衰微した。江戸時代に入ると細川氏次いで小笠原氏の手厚い保護を受け小倉藩の大社の一つとして栄えた。明治6年(1873年)村社に列し、昭和2年(1927年)県社に昇格した。 現在は付近に北九州高速道路が走るなど交通のアクセスに恵まれ、北九州有数の神社として市民に親しまれている。

交通アクセス

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「篠崎八幡神社」の関連用語

篠崎八幡神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



篠崎八幡神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの篠崎八幡神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS