第54SS戦車猟兵大隊
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「デルク=エルスコ・ブラインス」の記事における「第54SS戦車猟兵大隊」の解説
1943年4月、これまでの戦闘で消耗した義勇部隊「ニーダーランデ」は前線から引き揚げられ、ドイツ国内での再編成を経てSS義勇旅団「ネーデルラント」(SS-Freiwilligen-Brigade Nederland)となった。フェリックス・シュタイナーSS大将率いる第ⅢSS装甲軍団の所属となった同旅団は、1943年の末に第4SS義勇装甲擲弾兵旅団「ネーデルラント」(4.SS-Freiwilligen Panzergrenadierbrigade Nederland)と改称され、レニングラード近郊のオラニエンバウムへ出陣した。この時、ブラインスはSS伍長として同旅団の第54SS戦車猟兵大隊(SS-Panzerjäger-Abteilung 54)第1中隊に所属していた。 ブラインスが所属する第54SS戦車猟兵大隊は、SS「ヴィーキング」師団の第5SS突撃砲大隊(SS-Sturmgeschütz-Abteilung 5)の突撃砲をそのまま受け継いで編成された部隊であり、大隊指揮官はかつての第5SS突撃砲大隊指揮官クヌート・ショック(Knud Schock)SS少佐が務めた。しかし、既存の装備の使い回しであったため、オラニエンバウム出陣時の第54SS戦車猟兵大隊の突撃砲台数は基準値に達していなかった。
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