第1場 兜改め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 07:45 UTC 版)
義太夫「頃は暦応元年二月(きさらぎ)下旬。足利将軍尊氏公、国に羽(は)をのす鶴が岡八幡宮御造営成就し、御代参として御舎弟足利左兵衛督(さひょうえのかみ)直義(ただよし)公、鎌倉に下着(げちゃく)なりければ、在鎌倉の執事高(こうの)武蔵守(むさしのかみ)師直(もろなお)、御膝元に人を見おろす権柄眼(けんぺいまなこ)。御馳走の役人は、伯州の城主塩冶判官高定(たかさだ)、馬場先に幕打ち廻し、威儀を正して相詰むる・・・」 若者のリーダーは室町時代の鶴岡八幡宮にいた。そこに、足利直義(足利尊氏の弟)と執事師直、直義を供応する塩冶判官たちが入場する。直義は滅ぼした新田義貞の兜を奉納するため、かつて義貞に仕えていた顔世御前(塩冶判官の妻)を召し出し、数ある兜の中から義貞の兜を選ばせる。 顔世御前はレオタードの上に打掛という衣裳であり、顔世御前が踊る場面では黒衣が打掛の裾を持って動かしたり、脱着を補助したりする。 義貞の兜が選ばれ儀式が終わると、師直はかねてから横恋慕していた美しい顔世御前に言い寄るが拒絶される。現代から紛れ込んだ若者は一部始終を傍観し、シーンの最後に定式幕を引く。
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