第五十二国立銀行の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:43 UTC 版)
松山においても銀行設立の動きがあり、旧松山藩士族加藤彰と伊藤奚疑知両名は、銀行設立を奔走した。愛媛県権令岩村高俊は「士族は理屈はいっても資力乏しく商売も下手ならん。商人は熟練はあれども規則の事などは不得手なり。依ってこれを合併せば宜しからん」として、商人との協調による銀行設立を促したが、士族間の反対が強く、結局、士族のみの出資で1878年9月25日に開業した。初代頭取は小林信近であった。1880年時点で貸付先の64%を士族が占めており、士族授産銀行の性質が強かった。
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