第五共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:47 UTC 版)
第五共和国は、反共の旗の下で日韓米による三角同盟を推進した。第五共和国は前政権に引き続き、親米一辺倒の政策を推進して、韓国においてアメリカは血盟関係とまで称される程の伝統的な友邦だった。このような政策は、学生達の反米主義運動を助長した側面もある。光州事件に対するアメリカの介入または幇助疑惑は、この時期学生運動の一テーマだった。日本とは、この時期に歴史教科書問題や在日韓国・朝鮮人による指紋押捺拒否運動など、摩擦も発生することとなった。北朝鮮に対しては、民族和合民主統一方案と南北首脳会談を申し入れたが、北朝鮮はラングーン事件や大韓航空機爆破事件を起こすなど、一貫して敵対的な態度をとり続けた。西ヨーロッパとは政治的イシューが小さく、経済・通商面での交流がメインとなった。
※この「第五共和国」の解説は、「大韓民国の国際関係」の解説の一部です。
「第五共和国」を含む「大韓民国の国際関係」の記事については、「大韓民国の国際関係」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から第五共和国を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から第五共和国を検索
- 第五共和国のページへのリンク