第三者による白洲次郎評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 00:46 UTC 版)
前出のように、白洲次郎についての一次資料は少ないとされる。死の数年前、何日かにわたって古いかばんを持ち出し、中の書類を次々に火にくべていたという。長女の桂子が「何を燃やしているの?」と尋ねるとそれには答えず、「こういうものは、墓場まで持っていくもんなのさ」と言って、焼却炉から立ち上る煙をじっと見上げていたという。 ここでは第三者による批判的な白洲次郎評を挙げる。 「白洲さんは悪い人じゃないけど、女にもて過ぎたのがいかんですね」- 鹿内信隆 「流暢な英語で、人を見下して話すところは、好きになれませんでした。」- ヘンリー・スコット・ストークス(ニューヨーク・タイムス東京支局長) 「吉田側近として活躍していた昭和20年代後半は、評判が悪かったという。高く評価されるようになったのは、吉田氏同様、死後しばらく経(た)ってからだった」- 乾正人 島地勝彦は、戦争の際は率先して最前線に立つことが王室や貴族の子弟の義務だが、白洲次郎は戦時中に徴兵を忌避をした点で紳士道に反すると評価している。
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